2002年イギリス映画。1970年代後半から80年代のマンチェスターの音楽シーンを描いた映画。ドキュメンタリー作品ではない。ポスト・パンクのバンド、ジョイ・デヴィジョンも役者が演じているという風なストーリーを持った映画作品。マンチェスターでレコードレーベル、ファクトリーとクラブ、ハシエンダを作ったトニー・ウィルソンが映画の進行役を兼ねている。
DJのkawaseさんに進められた見たのだが、ムチャ楽しい映画だった。現在,ぼくはクラブに行ってDJがプレイするハウスやテクノを聞いているが、キャリアは短い。80年代の中頃から2000年代のはじめまでの長い間、ぼくは音楽を聞いていない。コンピュータのせいで仕事環境が激変し、生活に追われるようになって音楽どころではなかった。
それ以前は、70年代後半にパンク・ロックを知り、80年代の中頃までずっとニューウェイブ・ロックを聞いていた。パンク・ロックを聞きつつ、ポスト・パンクのジョイ・ディヴィジョンのアルバムに出会ったときの衝撃は忘れていない。この映画にはバンド、ジョイ・ディヴィジョンがファクトリー・レコードと共に詳細に描かれている。バンドのリードボーカル、イアン・カーティスの自殺はリアルタイムで衝撃的なできごとだった。しかし、インディーズの世界のその出来事が、まさか映画になって再現さるとは思いもよらないことだった。進行役のトニーは棺のイアンに向かって「彼は音楽界のチェ・ゲバラだ」と語る。
映画のスタートはマンチェスターの音楽シーンのスタートでもあった1976年のセックス・ピストルズのマンチェスター初のギグから始まる。観客は42人。その大半は以後のマンチェスターの音楽シーンで活躍する人間だが、ほとんどが劇場の椅子に座り、数人が踊っているだけだった。それが80年代にはクラブ、ハシエンダでDJのプレイで無数のオーディエンスが踊っている。トニー・ウィルソンが「白人も踊り出した」と語る言葉が重い。
70年代後半から80年代、ぼくはパンクからニューウェイブのレコードを聞き、イギリスやアメリカから来日するそられバンドのライブを行き続けた。そこでは、大きなホールの椅子から立って聞くものの踊りには遠かった。ディスコにも何度か行ったが、ディスコミュージックには気が乗らなかった。数少ない素晴らしいギグではクラブ・シーンの萌芽を体験するが、クラブ・カルチャーを知らないままにぼくは音楽を聞かなくなった。
2000年代に入って音楽を聞き始めると、すぐにクラブ・シーンを抜きにして音楽を体感できないことを知る。しかし、80年代中頃から続いた20年近い空白は大きくて、それを埋めることは簡単じゃなかった。でも、昨年、クラブでぼくは突然踊りだした。なぜなのか自分でもよく分からなかったが、この映画で分かったような気がした。トニーはイアン・カーティスを「音楽界のチェ・ゲバラだ」と言っていたが、それは彼の歌が究極のダンス・ミュージックだったことを意味しているんだと思う。
ぼくはクラブのフロアでイアン・カーディスのリズムを感じて踊りだしたんじゃないかと思う。これまでは、ニューヨークのクラブ・シーンの誕生を本やDVDを通して知ろうとしていたが、ぼくの場合はマンチェスターのサウンドの方に親しみを持っているに違いない。この映画を通して70年代から80年代のぼくの音楽体験が現代につながっていることを知った。とても嬉しい。