フューチャリスト宣言 / 梅田望夫、茂木健一郎著

フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656)フューチャリストって、未来のことについて考える未来学者だってことが茂木さんの書いた「はじめに」の中に出て来る。ただし、ポジティブに未来を考えるスタンスだってこと。ここが宣言というわけなんだと思う。梅田望夫さんの著作も何冊か読んでいるけど、本書も例外ではなく未来への楽観的視点に立っている。ここでは茂木さんも加わって楽観はさらに加速している感がある。実は本書は去年の8月に読んでいる。ぱっぱっと読んでしまい感想文を書きそびれていた。

なぜか、もう一度読んで見たくなり再読したわけ。やはり面白くて今回もぱっぱっと読んでしまった。二人はフューチャリストの他に、談合社会相対化同盟っていうのも結んでいる。ヨーロッパやアメリカから見ると、日本は談合社会だと二人は言っている。談合社会をぶち壊せないまでも相対化したいというのが談合社会相対化同盟ということ。

茂木 梅田さんとお話ししていて自己認識できたのですが、ウェブ社会の到来はアンダードッグ(負け犬)たちのチャンスだという感じがしているから、僕も暑くなっているのかな。いままでの日本社会の勝者って、談合にうまく乗った人というところがあったじゃないですか。アンダードッグというか、マヴェリック(一匹狼)たちが、うまくネットを使えば幸せになれる、という可能性があるから、僕はネットの側に賭けたいと思っている。(p128)

気持ちのいい発言だよね。最近、談合社会を強く感じることが2件も重なってしまった。一つは具体的に書くことはできないが、継続して安定的に仕事が約束されるはずだったのが、談合社会の壁に阻まれて涙を飲んだこと。もう一つは、世間話のレベルだが、ギャラリーで作家さんや美術ライターさんとお話していて、ぼくがネットでのギャラリーの可能性を話題にした。というのもネットギャラリーが増えて、ネットでの絵画の売買が行われているからなんだ。

この時もネットギャラリーへのライターさんの冷たい反応に驚いてしまった。しかし、本書を読むとその反応は当たり前だと思う。ギャラリーや作家、ライターといった人たちからなる社会を永続させたいと思っていたらネットは歓迎できないよね。

茂木さんは脳とインターネットが「偶有性」に満ちていると指摘している。それはある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実な性質と説明している。そしてこの「偶有性」は脳にはとても重要な栄養だそうだ。栄養だってことは喜びなんだよね。

茂木 偶有性の喜び、自分の人格をより高度なものにしていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでももっとも強く、深い喜びではないでしょうか。食べる喜びなんて、おなかがいっぱいになっちゃえば終わりだし、性的な喜びだって限界がある。学ぶ喜びって、限界がないんですよ。インターネットというものが、「学ぶ」という最も根源的な、オープンエンドな(終わりのない)喜びを大爆発させる機械を与えている。まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。(p150)

読んでてなんと楽しくなる楽観主義でしょう。でも、ぼくは歓迎してる。ネットで仕事をしていると、際限のない「学ぶ」喜びの連続だよ(これも収入の増加に結びつくと言うことはないのだけれど・・・)。そーそー、もう数ヶ月前のことだけど、専門学校を卒業して大手のウェブ制作会社に入社した若者と話をしたことがある。ぼくはね、今学校で身につけたスキルなんて2、3年もすれば陳腐化する。その間に向上していなければ、後から入社してくる新人に追い越される。とにかくこれから、一生勉強が続くよって、言ったんだ。もちろん、喜びの視点から。でも、若者はそうはとらなかったらしい。

フューチャリスト宣言
著者 梅田望夫、茂木健一郎
発行 ちくま新書656、2007年5月

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