青葉の笛 / お能の絵本シリーズ第3巻「敦盛」

源氏と平氏の戦である一の谷の合戦で、源氏の武将は平敦盛という少年武将を手にかける。源氏の武将はそれを悔いて、蓮生という僧になって毎夜、敦盛のために仏に祈っている。しかし、気の晴れぬ蓮生は一の谷を訪れる旅に出る。一の谷で蓮生は敦盛の霊と出会い、彼の思いに耳を傾ける。そして敦盛は心の平安を得て成仏をするという話し。敦盛は笛の名手で戦の場にも笛を腰にさしていた。それが「青葉の笛」。

本書は子ども向きに配慮されたストーリーということもあってか、能が今まで以上によく理解できたように感じた。ぼくは幼い頃、夕食後は祖母や兄弟らと近くの映画館へ日常的に行くという家に育ち、東映時代劇にどっぶりと浸かっていた。その頃の時代劇で印象づけられた能のイメージをずっとひきづっている。それは、将軍を前に演じられる観能のシーンで、大勢の武士たちがいずまいを正して参列している。そこに漂う緊張感から、庶民の集まる歌舞伎とは一線を画する芸能の印象を強く持った。

本書を読むと、武家に生まれた子どもは能を題材にしたこのような物語を早くから叩きこまれたことは容易に想像ができた。戦場にあっては死を恐れず、また、殺めた場合は相手への慈しみの心を失ってはならないなど、武士となる子どもたちは早くから教えられたに違いない。だから、将軍とともに能を鑑賞している武士たちは全てが、ストーリーを教養として熟知していたに違いない。

戦の時代から長い時が経ち、教養としての能は増々スタイリッシュに進化したに違いない。今の時代に当てはめるなら、アフリカからの黒人奴隷が南北アメリカ大陸で創り出したブルースやラテン音楽が、時を隔てて、そのサウンドから「生」への執着をそぎ落としたある種のスタイリッシュな音楽が生み出されたのに似ている。高学歴で知的な仕事に従事する層や労働とは無縁な富裕層がそうしたハイセンスなサウンドの消費者に違いない。

他方、サウンドの「生」の部分を捨てない音楽も発展し続ける。格差社会で音楽の二極化も加速されているに違いない。ぼくはもちろん、労働者の立場から、能のようなスタイリッシュな世界には感覚的に縁がない。

〈お能の絵本シリーズ〉第3巻「敦盛」
青葉の笛
文 片山清司
絵 岡村桂三郎
発行 アートダイジェスト、2002年4月

投稿日:
カテゴリー: 絵本