1960年フランス映画。ヌーヴェルヴァーグのルイ・マル監督によるスラップスティック(ドタバタ)・コメディ映画だが、これはアートな映画の大傑作だと思った。この映画はもう何回か見ているが、今日気づいたことは、1929年のルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの映画『アンダルシアの犬』からとても強い影響を受けてるということ。だとすると、ダダやシュールリアリズムの精神を継承してルイ・マルはこの作品を作ったに違いない。こういう風に見ていたら、すごい傑作映画だと思った。
ストーリーはあってないようなものだが、10歳の少女ザジが母親に連れられて、列車でパリに到着する。母親は、ザジを出迎えの兄に預けて、やはりホームに迎えにきていたボーイフレンドとさっさと雲隠れ。この少女、ガラの悪い言葉は連発するは、コマッシャクレてるわで、預かったおじさんをはじめ周りの大人達を大騒動に巻き込んで、2日間のパリを楽しんで帰っていくまでのお話し。ザジがパリに期待したのは地下鉄に乗ることだったが、ストのためにできない。だから『地下鉄のザジ』なんだけど、いいかげんなタイトルなので気にしない。
まず、あらゆる場面のワンカット、ワンカットが絵になっていること。およそ50年前の映画だから、シネマとしてはノスタルジーを感じさせるものの、ワンカットを抽出するなら、全く今の映像だな、って感じた。超モダンなカフェの家具なんて、すごい今風。そのカフェのインテリアをドタバタ喜劇よろしく壊してしまうんだけど、現れた元の壁はアール・ヌーヴォーの絵が描かれたりする思いっきり世紀末の世界だったりする。ルイ・マルは何を伝えたかったのかな・・・。ドタバタの間、主役のザジはカフェのテーブルに突っ伏して熟睡してる。ザジの夢の中だったのかもしれない。
登場人物は全部が、パリの下町風な憎めないオッちゃん、オバちゃんに、ネーちゃんにニイちゃんで、騒がしいったらない。その中でただ一人異彩とオーラは放っているのが、ザジのおじさんの奥さん。すごい美人でスタイル抜群。さすがのザジもこのおばさんにだけは、憎まれ口を叩かない。一目置いてるんだ。
おばさんが、亭主の舞台衣装を届けるシーンが素晴らしい。地下鉄のストで大渋滞している雨のパリを原付自転車でスイスイと移動する。黄色のスカーフに黄色のビニールのレインコート。前を見据えて無表情のおばさんを正面からカメラが見つめる。バックにはジャズが流れる・・・たまらない。
このおばさん、楽屋に着いたら今度は、スカーフを取り、黒のハイネックのセーターを着る。似合い過ぎ・・・。さらに革ジャンと手袋。頭にはゴーグル付のヘルメットの出で立ちで、さっさと街へ。1980年代後半の『オリーブ』誌連載の仲世朝子氏の「のんちゃんジャーナル」には「やっぱりザジにはかなわない」がある。そのイラスト入りエッセーの中でも、ひときわ注目されているのが、このおばさんの革ジャン姿。カッコいいったらない。
ぼくがこの映画を封切りで見たのは中学3年だったと思う。この頃からヨーロッパの映画を見始めている。ルイ・マル監督はこの映画の前に、弱冠25歳の作品『死刑台のエレベータ』(1957年)で鮮烈な監督デビューをしているが、その頃、ぼくははまだルイ・マルを知らなかった。文芸調の『恋人たち』(58年)も知らなくて、60年の『地下鉄のザジ』からぼくのヌーヴェルヴァーグが始まった。地方都市で見るこの映画がなんとまぶしかったことか、今だにその鮮烈な印象を覚えている。それが、20代、30代で見たときは、ノスタルジーだけが強くて映画自体もそれほどいいとは思えなかった。
なぜなんだろう、今見ると面白いし、すごい映画だった。おじさんがショーをするキャバレーのピアノをザジが叩くシーンはホント、おかしかった。ピアノの上には、ウサギが2匹・・・しつこく映すとおもったら、『アンダルシアの犬』の羊のパロディかな? 踊るダンサーの向こうには白クマがいたり、ほんま、楽しい。やっぱり、20代、30代で見たときは、たぶんアートを意識して肩に力が入りすぎていたのかもしれない。