幼い頃、乳歯を抜くため、無理矢理に歯医者さんに連れて行かれたが、虫歯の治療はボイコットしていた。おかげで、小学生の半ばには虫歯だらけだった。学校の検診に来た歯医者さんに直すように言われて観念した。自分でもいい加減、困っていたのではないだろうか。
乳歯を抜いていた頃は別な市の街中に住んでいたから、歯科医院も近くにあったが、この話は、街の中心部から離れた辺境に住んでいたときのこと。校医の歯科医師は街の中心部の医院から、週に何度か辺境の医院に通ってきていた。その医院は、鉄道の本線と貨物の引き込み線が交わる、両方の線路に挟まれる場所にあったので、治療中も列車が通る度に振動が伝わっていた。
医院と言っても、見た目は小屋に近く、木造の平屋の小さな建物だった。通ってくる先生が入り口の鍵を開けるという具合で、全くの一人でやっていた。先生の来るのが遅れるとぼくは入り口の前で待っていたものだ。寒い季節だと、ストーブをつけたり、湯を湧かしたりということから始まる。
ぼくの虫歯はとてもひどかったので、すごく長い通院だった。治療前に何かの手伝いを頼まれると嬉しかった。そして、準備が整うと、列車の振動が伝わる治療の椅子に座って恐怖に耐えた。いつも、先生と二人だけだった。
先生は中年の女性で、一言で、かっこ良かった。母や近所のおばさんたちと同じ年頃なのに着ているものが違ったし、何といってもプロの職業婦人は専業主婦とはずいぶんと違った。小学校にも職業婦人の先生はいたが、街中からやってくる歯科医師に比べるとヤボったかった。優しくはなかったが、ぼくは観念して長く通院した。もし、その女性の先生でなかったら、あんなに完全に治療を終えることができたかどうか疑問だ。あの時、直していおいて本当に良かったと思う。その後も、あっちこっちの医院で何人もの先生に診てもらったが、今の担当の医師はあの時以来の中年の女性の先生だ。