初期のマイルス・デイヴィスを聞こうと、その頃のビバップも含めて、ずっと聞いていたら、聞き疲れがしてしまった。で、今日はフリージャズだと、マリオン・ブラウンを選んだ。1965年の録音だけど、ESP-DISK’ のサイトで見たら新譜だった。2ヶ月ほど前にタワーレコードで買って、一度聞いただけだった。今日、徹底的に聞くと、ずいぶんモダンなサウンドだと感じで驚いてしまった。先日来、マイルスの「クールの誕生」なんかで、同じアルトサックスのリー・コニッツのソロプレイのモダンなことにも驚いたけど、これって似ている。
さて、このアルバムは60年代後半に所有していました。だから、それのCD盤だとばかりに思ってたんだんだけど、ジャケットのマリオン・ブラウンの顔が違うようだ。収録も60分もある。当時のレコードにはこんなに入らない。当時の古いESP-DISK’のカタログを見ると、似てるけどジャケットの写真が違う。サイトを見ると、当時のもののCD化されたものがずらーっと並んでいるけど、Marion Brown はない。紹介されているのはニューリリースのページだった。多分、当時は収録しきれなかったものを入れて新たにリリースしたに違いない。
ESP は、そうまでして現代の聴衆に MARION BROWN を聞かせたかったのだと思う。今に通じるサウンドだからだと思う。この年、マリオン・ブラウンはジョン・コルトレーンの有名なアルバム「アセンション」に参加している。というわけで、65年前後のコルトレーンも何枚か聞いた。ほんとうに久しぶりのことだ。前にコルトレーンを聞いたのはぼくがまだ、クラブジャズとか北欧ジャズとか nu jazz を知らなかった頃だ。
60年代、ぼくはコルトレーンを本当によく聞いていた。彼の死後、70年代に入ってもある種、信者のような姿勢でよく聞いていた。でも、今日はコルトレーンのサウンドがなぜかおもしろくない。50年にマイルスとともにソロをとるクールジャズのリー・コニッツは新鮮だった。65年のフリージャズのマリオン・ブラウンはいまだに新鮮だった。だからおもしろい。コルトレーンのサウンドに新鮮さを感じられないのはなぜなんだろう。コルトレーンのサウンドにフリージャズを求めていたけれど、本当にフリージャズだったんだろうか、疑問にとらわれてしまった。
本アルバムはそれほど、フリージャズをしていない。ハードバップを進化させたような感じにもとれる。でも、マリオン・ブラウンはフリージャズマンだ。61年のコルトレーンのヴィレッジ・ヴァンガードライブはエリック・ドルフィーがフリージャズだった。66年のヴィレッジ・ヴァンガード・アゲインではファラオ・サンダースがフリージャズだった。
62年と63年にソニー・ロリンズは当時オーネット・コールマンのバンドをやめていたフリージャズのトランぺッターのドン・チェリーをバンドに迎え入れてライブを行っている。そこでロリンズもフリージャズめいたことをやっているけど、ぼくにはバッパーのサウンドにしか聞こえない。
ぼくは思うんだけど、フリージャズって、選択できるものじゃないって。さあ、今日はフリージャズでいこうか・・・。なんてもんじゃないってこと。フリージャズマンはフリージャズを選択したのではなくって、人生がフリージャズだったんだと思う。そんなことを マリオン・ブラウンを聞きながら感じていた。
あっと、忘れるとこだったけど、このアルバムのラシッド・アリがすごい。この後、コルトレーンバンドのドラマー、エルビン・ジョーンズと変わることになるが、ひょっとしたら、コルトレーンのバンドでもこれほどのプレイが聞けたろうか。いつかラシッド・アリに注目してコルトレーンのアルバムを聞き直したい。
Marion Brown / Marion Brown
Marion Brown alto saxophone
Alan Shorter Trumpet
Bennie Maupin tenor saxophone
Ronnie Boykins bass
Reggie Johnson bass
Rashied Ali percussion
Recorded in New York City, November. 1965
ESP 4011