LPコーナーからもらった ESP-DISK’ カタログ

eps11968年か69年だったと思う、ゴダール特集の新しい映画批評誌に交流の途絶えていた高校の同級生の名前を見つけた。出版社に電話して住所を教えてもらった。東京に出かけた際にアパートを訪ねた。電車を田園調布駅で降りて、高級住宅街を上って下って、小さな川を渡ったところにアパートがあった。部屋に招き入れられると4、5年ぶりの再会の挨拶も、初めて会うパートナーとの挨拶もそこそこに、これから始まるというゴダールの「勝ってにしやがれ」の昼下がりのTV放映に三人で見入った。そのカップルは当時のヌーベルバーグと呼ばれたゴダールやトリフォーのフランス映画に出てくる若いカップルと同じような生活をしていた。テレビはゴミ捨て場から拾ってきたという古いものだった。初夏の乾いた風が窓から入ってきた。振り返ると風になびいた白いカーテンが、どことなくヌーベルバーグ映画の常連女優のカンナ・カリーナに似たところのある彼のパートナーのその頬を撫でていた。

eps2その夜、ぼくたちは、ヌーベルバーグ映画について、フランスの現代小説ヌーボロマンについて、吉増剛造をはじめてとする詩人たちについて、そしてフリージャズについて話しまくって、すぐに朝になった。それらについて大方はぼくが教わる立場だった。ほんとうにぼくは多くの人に教えられながらアートのより深い世界に分け入る鑑賞者になっていったものだ。いまさらながら数々の出会いの幸運を噛みしめる。

それからカップルでの交流が始まり、来阪のおりに梅田の阪急東通りにあった輸入レコードショップ「LPコーナー」に案内したのは言うまでもない。フリージャズに大変に造詣の深い彼が「LPコーナー」に陳列しているレコードを見て、狂気した。こんなに揃っているレコード店は東京にはない、と言った。当時、フリージャズの日本版が出ることはまれで、また、出たとしてもその頃は遅く、ぼくたちは絶えず、入荷したばかりの輸入盤を聞きまくっていた。

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写真はその頃にお店でもらった「ESP DISK’」のカタログだ。当時、それはもっとも過激なインディーズレーベルだった。ジャケットデザインもモノクロを基調としたワクワクとさせられるデザイン感覚がたまらなかった。・・・そのカップルとの交流も絶え、LPコーナーはもちろん、阪急東通り商店街へ行くことも数十年途絶えていた昨年夏、用事の目的地向かって商店街を通過した。「LPコーナー」はなかった。まるで、夢の中の出来事みたいだな、と「フリージャズの頃」を振り返った。

Welcom to EPS-Disk’.

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カテゴリー: Music