フィッシュ / L. S. マシューズ著の開発途上国を舞台にした児童小説

フィッシュ (鈴木出版の海外児童文学 この地球を生きる子どもたち)ストーリーの展開につられるように夢中で読んでしまったが、読後に落ち込んだ。地域は意図的に明らかにされていないが、隣国との戦争や内戦の絶えることのない開発途上国が舞台。その国の村に医師として救援活動をしている両親を持った少女が主人公。この一家は作者がイギリス人なので、同国人と見るのは自然だと思う。子どもの性別も原書では明らかにされていないが、訳者は男の子ような少女を想定したとあとがきに書いている。

敵方の軍隊が迫っているので、村人や難民は隣国へ移動を始めている。妊婦やケガ人の手当に最後までつくしているうちに一家は脱出の機会を遅らせてしまった。地元民のガイドを雇い、彼のロバに大急ぎで荷物を背負わせて出発するが、そのドタバタの最中に少女は、干え上がる寸前の泥の中に一匹の魚を見つけて、それを隣国の水源に放すという。タイトルの『フィッシュ』はこの魚からきている。

難民キャンプの悲惨な状況が描写されているわけではない。戦闘による民衆の悲惨な状況が描写されているわけでもない。うち続く戦争の理由や国際情勢が説明されているわけではない。ひたすら、一家3人とガイド、そしてロバと魚の戦場からの脱出行がドキュメンタリーなタッチで描写されていく。

干え上がったやせた大地を何日も徒歩で脱出するというのに、娘は水を必要とする魚を運ぶという、娘の行いに腹を立てていた父親をはじめ、大人3人が魚の生存に手を貸しながら旅は進む。ロバも含めてヒューマンな心の通い合いに強く引き込まれる。だからこそ、開発途上国の悲惨な現実がジャーナリストや学者の書く国際情勢の解説本よりも、ある意味で、ずっと胸を打つのだと思う。

極限状況にありながらも、父親は父親的であること、母親は母親的であることから自由になれない。そんなときは家族を爆撃で失ったガイドの中性的な目が現実的判断を下す。とにもかくにも、非人間的状況の中で、人間性を失わない登場人物なんだが、ぼく自身はというと、とてもこの過酷なサバイバルについていけそうにないと思った。これが落ち込んだ理由だ。

彼らの生きるという強い意志は未来への希望だろう。この小説のサバイバルについていけないということは、ぼくにそれだけの希望を持っていないということを意味するのかもしれない。あるいは、裕福ではないが、物質的には不自由のない生活をしているが故の恐さだと思う。

鈴木出版の海外児童文学 この地球を生きる子どもたち
フィッシュ
著者 L. S. マシューズ(L. S. Matthes)
訳者 三辺律子
発行 鈴木出版、2008年2月

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カテゴリー: 読書