ドラッグ・カルチャー
―アメリカ文化の光と影(1945~2000年)―
マーティン・トーゴフ著、宮家あゆみ訳(清流出版、2007年12月発行)
ほんとにすごい本だ。ジャズやロックなど、アメリカのポップ音楽を長く聞いてきたぼくとしては、とてもヤバイ内容だ。500ページの大冊なので、なかなか読み切ることができない。半分まで読み進んだところで内容を整理しておこうと思う。
本書はアメリカ文化とドラッグの関係について書かれた文化史だ。ドラッグ抜きにアメリカ文化は語れないとしながらも、決してドラッグを礼賛する内容ではない。著者のマーティン・トーゴフは訳者あとがきで、ドキュメンタリー・フィルム製作者であり作家でもあると紹介されている。年齢は書かれていないが、1969年、高校生のときに初めてマリファナを吸ったとあるから、1950年代初頭の生まれだろう。
第1章 なにものをも恐れず、解放され、自由だ
著者マーティン・トーゴフ、1969年のハイスクール時代のマリファナ初体験からはじまる。それをやめさせようとする父親との激しい葛藤。1970年にはLSD体験。そして70年代のドラッグ体験。1980年代初め、恋人がコカインをやり始める。彼は恋人をコカインから救おうとする。それが、かつての父親の姿と重なる苦い皮肉を知る。彼自身がますますドラッグにのめりこんでいくのに恋人を救えるはずがない。5年後、彼女は事故で死んでしまう。
第2章 バップの黙示録
ジャズのビ・バップ、チャーリー・パーカーと彼を敬愛した若き日のジャッキー・マクリーンのこと。そして、ビ・バップとビートニクの関係。ウイリアム・バロウズ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ニール・キャサディなどなど。そして彼らビートニクたちにドラッグを教えたハーバート・ハンキーによる当時の証言。
第3章 サイケデリックの夜明け
1960年夏、ティモシー・リアリーはメキシコ産の謎のマジック・マッシュルーム、シロシベ・メキシカーナを始めて口にする。それからハーバード大学でサイケデリック・ドラッグの研究が始ったこと。LSDがアシッドと呼ばれ始めた西海岸のこと。
第4章 誰もが一発やられるべきなんだ
トム・ウルフのアシッドテストとグレイトフル・デッドの疾走するサウンド。ヘイト・アシュベリーやサイケデリック・ロックに欠かせない人物、安価で強力なアシッドを大量生産した人物,オーガスタス・オウズリー・スタンレー3世のこと。1966年、サンフランシスコのトリップ・フェスティバル。このフェスティバルを運営したビル・グレアム。そして、ジム・モリソン(ドアーズ)のナンバー「The End」の収録模様とプロデューサー、ポール・ロスチャイルドのこと。そのポールが語るボブ・ディラン。ビル・グレアムの語るジャニス・ジョプリン。そして、1967年6月のモンタレー・ポップ・フェスティバルの詳細。特にジミ・ヘンドリックス。
フェスティバルは幕を閉じ、モンタレーに向かう若者たちを描いたスコット・マッケンジーの歌「花のサンフランシスコ」が絶え間なく流れる中を若者たちはヘイト・アシュベリーを目指した。サイケデリックの春が終わりを迎え、サマー・オブ・ラブが始ろうとしていた。と第4章が終わる。第5章はヴェルベット・アンダーグラウンドから・・・。