アメリカ生まれで、アフリカや中東で暮らしていた20才の女性ラナがテルアビブからロサンゼルスへやってくるところから映画が始まる。ラナの目的は、音信の途絶えている叔父を捜すこと。叔父はベトナム戦争の帰還兵で、枯れ葉剤の後遺症を持っている。同時多発テロ事件から2年が経っている。彼は、アメリカをテロリストから守るためのアラブ人監視の義務を自らに課して、日夜町中での監視活動を行っているという、かなり変わった男だ。
ラナはホームレスへの慈善事業を行っているキリスト教教会に身を寄せる。出迎えた牧師の車が貧困地帯へ入っていくと道にホームレスの姿が多くなる。牧師によると、全米で最もホームレスの多いのがロサンゼルスで、アメリカの飢餓の中心だと言う。それを聞いてラナは、ヨルダン川西岸地区では想像もつかいないことだと驚く。
あの世界的に知られた紛争地帯で活動している人間が、ロサンゼルスの貧困地域に驚くか・・・。そうだよなー。ラナは日本の貧困地域を見ても同様に驚くはずだ。豊かな先進国にこんな地域があるとは考えないのが普通だ。そんなわけで、ぼくは日本の飢餓の中心、釜ヶ崎が見たくて、2日前に所用の帰りに遠回りをして行ってきたばかりだ。何年も行ってないが、始めてというわけではない。あの街の変わりようを強く感じて興奮気味に帰ってきた。三角公園周辺のホームレスの多いこと、萩之茶屋小裏手の道路の屋台の連なりなど、無国籍的風景に驚いた。昼過ぎというのに路上に人が多いことから独特のテンションが街に漂い、バックからカメラを取り出せなかった。
映画はロサンゼルスの貧困地帯でアラブ人の青年が射殺される。ラナの尽力によって肉親を探しあてる。そして遺体を叔父さんの車で運ぶことになり、ラナと叔父の二人の旅が始まる。無事に肉親に届けたあと、アメリカ大陸を横断してニューヨークの同時多発テロ事件の現場へ向かう。
ラナは言う、同時多発テロ事件の犠牲者は憎しみから相手を殺すことを望んでいないはずだと。そして死者の声に耳を傾けようと、現場を静かに見つめる。ベトナム帰還兵の叔父はテロ事件以降、収まっていたベトナムの戦場での PTSD(心的外傷後ストレス症候群)がぶり返して苦しんでいる。
ラナは母から叔父あての手紙を託されている。それによると重い病で死期が迫っているので、ラナを叔父に託したのだ。叔父の苦しみをラナが癒すだろうことを暗示させて映画は終わる。ヨルダン川西岸地区からロサンゼルスの貧困地域、そしてアメリカのアラブ人とかかわって、ニューヨークのテロ現場へと移動しながら、ラナは持ち歩いているノートパソコンでテルアビブの恋人とネットでつながっている。強烈に「今」を意識させる映画だった。