今週の始めに、ちょっと大きな仕事を納品した。ムチャ集中して作業をしてたんで、終わったとたんに無性にクラブに行きたくなった。体調や仕事の都合で、もう2ヶ月以上もクラブに行ってない。mixiをチェックして、Marcel Dettmann に行き当たった。いつも、mixiで気になった名前を MySpace や YouTube で聞いてクラブ行きを決める。Marcel Dettmann は最初に聞いた音源だけで、すぐに決めた。重いビートが印象的なテクノだ。1977年、東ベルリン生まれ。
sound-channelには2時少し前に入って、ほどなく Marcel Dettmann のプレイが始まった。いつものDJブースじゃなくて、反対側のステージにしつらえたブースなんでDJがよく見える。
のっけからの重いビートは期待通り。反復し続けるビートにインダストリアルでノイジーなサウンドが被さるが、とても好みのサウンドだ。それが、5時過ぎまでの3時間、暖急が折り重なり、緊張と弛緩が心地よく繰り返された濃密な時間だった。
ビートにノイズが被さるのはこの夜に限ったことではないが、不協和音は新鮮だった。精神が異常に緊張させられるが、これはこれで心地よい。いまや、インダストリアルなノイズ音は、幼い頃に聞いた小川のせせらぎの音に取って変わっている。単にノイズを聞いただけでは興奮しない。
ノイズの聞かせ方が問題だ。ノイジーなサウンドに体が反応すると、一瞬、永遠を感じる。一瞬で十分だ。それ以上だと現実に戻ってこれなくなるかも・・・。そして、Marcel Dettmann に文学的な匂いを感じていた。いいプレイを前にしたときの、いつものことだ。この夜、心地よく体を動かしながら、『嵐が丘』のエミリー・ブロンテを想った。何の根拠もないがエミリー・ブロンテだ。
馬がヒースの荒れ地を駆けている。そんなイメージが網膜に投影されている。馬に乗っているのは、誰だろう? よく顔が見えない。映画で、エミリー・ブロンテ役をやったイザベル・アジャーニか、いや、エミリー本人かも、それともヒースクリフか。ぼくは、Dettmann のサウンドにはヒースクリフがよく似合うと思い、馬上の人をヒースクリフにした。
体調を気にしてアルコールをできるだけ控えた。なので3時間のプレイ中は極めて醒めていた。サウンドだけに酔っていた。Dettmann のプレイが終わって店を出たら、明るくなっていた。朝日が上る前の美しい空の青み。