読書メモ:絲山秋子著『勤労感謝の日』

沖で待つ (文春文庫)

文學会 2004年5月号初出、『沖で待つ』所収。

絲山秋子が好きなのは、登場人物に思い入れをして切なくなるような気分に浸れることだ。その切なさが心地いい。今朝は朝帰りだった。8時過ぎまでクラブパーティで踊っていた。疲れと興奮から日常への気持ちの入れ替えがうまいこと出来ないで、ふぬけな状態に陥っている。いつも、盛り上がったパーティの後は、ふぬけな一日が待っている。

そんなふぬけな日に、絲山秋子の小説がよく似合う。出口の見いだせない状況の中で、彼女の小説を読むことはキズをなめ合うような心地良さがある。主人公の鳥飼恭子は36才無職、母親のやっかいになりつつ職安へ通っている。大きな会社の総合職だったが上司とのトラブルから自己退職している。

そんな彼女に見合いの話しがあり、現れた相手は一流どころの商社マンで鼻持ちならない男だった。見合いの席を蹴り、街を歩いて後輩を呼び出して飲んでうっぷんをはらす。クリスマスムードに染まった街を歩きながらクリスマスに対して毒舌を吐き、社会を俗悪にしているのは自分たち世代だと毒舌を吐く。そんな毒舌はぼくも声を出して言いたいことで笑える。

例えば、近くの上沼町の新興住宅地では全世帯で豆電球を家の外壁に点滅させている。それに対して、電気はつけたら消すものだ、と。さらに節電に頓着しないゆえ「上沼町に原発を」と。幸せは家のなかでやってくれと念を押す。それにしても、原発をのフレーズは福島原発の事故後に読むからインパクトが強い。絲山作品をゆっくりと書かれた順番に読むつもりだが、原発事故後の作品が今から楽しみ。