村上春樹著『1Q84』を読んだ

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 2ぼくは村上春樹のファンではないけど、数ヶ月前に『ねじまき鳥クロニクル』のバックグラウンドに日中戦争があると、ある書評で読んで興味を持ったんだ。それでねじまき鳥を図書館から借りて読んだ。確かに、物語の背景の満州事変の頃から太平洋戦争の終わり頃までの大陸でのエピソードがたくさんあって、十分に理解できないまでも興味は満足されられた。

ねじまき鳥の後、『1Q84』を貸してもらえるというので、評判の小説を喜んで読み始めたわけ。ストーリーにひきづり込まれるようにして、けっこう夢中で読んだ。だけど、これって、満足感を得られるような読書じゃなかった。

ファンタジーっぽい冒険小説という感じで、読んでるときはおもしろいけど、ストーリーが分かってしまうと、もう一度読む気にならない種類の小説だった。ぼくの理解の及ばない深い意味があるのかもしれないけど・・・、ね。『1Q84』を読んでしまった今、村上作品はもう読みたいとは思わない。不満は、登場人物の存在感の希薄さだと思う。そんなわけで、読書にぐぐっとのめりこむような快感はとうとう来なかったわけ。

でも、収穫はあった。ラストシーンだけど、主人公の一人が老いた認知症の父親に話し続けるところ。最近、ぼくは息子は父親と話をすることで、アイデンティティを構築するんじゃないかと思いはじめているんだけど、その意味で、このラストだけは共感できたような気がする。父親との関係だけでアイデンティティが作られるわけではないけど、かなり重要な契機だと思う。

作品を検索していたら、この件で著者の興味深い発言があった。それは今年(2009年)のエルサレム賞受賞のスピーチで、著者の父の死について言及していたことだ。
これについては、極東ブログの「村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳」ページで読める。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-1345.html

非常に長いスピーチの中程のほんの数行の言及だけど、これを知ったことで、長編小説『1Q84』を読んだかいがあったと思った。ぼくのおやじも著者の父親同様、徴兵されて中国大陸に渡っている。

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カテゴリー: 読書