アメリカのポップ音楽史とも読める『ドラッグ・カルチャー』には1967年のモンタレー・ポップ・フェスティバルについては、当然、詳しく書いてある。読んでいると、無性に映像が見たくなる。ぼくはレーザー・ディスク版の『Monterey Pop ’67』を持っている。モンタレーの2年後のもっとも名高い69年のロック・フェスティバルの「ウッドストック」、そして同じ69年、ローリング・ストーンズのオルタモントの悲劇として知られる「オルタモント」も持っていたが処分して今はない。このモンタレー・ポップ・フェスティバルの映像が好きで、数年おきに見続けている。
パンクロックを聞いていた70年代から80年代に、このディスクをさかんに見ていた。そのときはまだ60年代の残り香のようなものがあったので、昔のフィルムという感じではなかったはずだ。今はずいぶんと遠い過去に触れている気分になる。
スコット・マッケンジーの〈花のサンフランシスコ〉、ママス&パパスの〈夢のカリフォルニア〉の歌に、行ったこともない土地への郷愁に誘われる。ジャファーソン・エアプレイン、ジャニス・ジョプリン、ザ・フー、ジミ・ヘンドリックス、そしてディスクの最後はラヴィ・シャンカールのながい長いシタール演奏だ。
ここにインド音楽が登場するのは、ヒッピーの時代だったからだ。彼らはフラワーチルドレンと呼ばれた。観客席のそんな美しいチルドレンたちが映像には大勢記録されている。アメリカに黒人大統領が登場したいま、なぜかフラワーチルドレンは歴史のはるかかなたの遠い存在に感じられてならない。
『ドラッグ・カルチャー』ではフラワーチルドレンの一人を下記のように表現している。
18歳のドーン・レイノルズは白く滑らかな肌とコバルトブルーの瞳を持ち、官能的な熟した体つきをしていた。ロサンゼルスの丘陵や渓谷のあちこちで開かれていたパーティ、人々は彼女をアシッド・エンジェルと呼んだ。刺繍のついた明るい色のベストから白い薄手の民族服調のシャツをふわっと出し,とび色の神を野の花で飾ったドーンは、モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティバルの人ごみのなかを歩いていた。自分は大勢いるアシッド・エンジェルのひとりにすぎないと思っていたが、それでも紫色のヴェルヴェットのベルボトムで多くのヘッズだちを振り向かせていた。
(マーティン・トーゴフ著、宮家あゆみ訳『ドラッグ・カルチャー』p213)