「青春のロシア・アヴァンギャルド」展

1321131917サントリーミュージアム[天保山]の「青春のロシア・アヴァンギャルド」へ行ってきた。大阪へ来る前の東京では「青春のロシア・アヴァンギャルド―シャガールからマレーヴィチまで」というタイトルだったことがネットで検索していて分かった。どうやら、シャガール、カンディンスキーなどが大阪には来ていないらしい。けど、カンディンスキーはちょっと残念だが、シャガールはいらないと大阪を見て思った。これはなんといってもマレーヴィッチとニコ・ピロスマニに焦点を当てた展覧会だった。
ロシア・アヴァンギャルドは1917年のロシア革命をはさんだ十数年のロシアの芸術運動を言うが,革命に遭遇した若いアーティスたちの血のたぎるような思いが具現化したまれなことだった。それまでの芸術というと貴族やブルジュアジーに媚を売るかのような芸術だった。しかし、20世紀初頭、ダダイズムなどと共にロシア・アヴァンギャルドのアーティストたちはアートをつかの間の楽しみとはしない、意識的なオーディエンスを相手にしたのだと思う。

その熱気が実物のマレーヴィッチに接して強く伝わってきた。アートとは本来、貴族やブルジュアジー、そして労働者大衆に媚を売るものだけでいいのだろうか。そうじゃないだろうというのが本展覧会「青春のロシア・アヴァンギャルド」だったと思う。しかし、ロシア・アヴァンギャルドは1932年に終わる。スターリン政権下で「社会主義リアリズム」のみが国家公認とされたからだ。出口直前の壁には、マレーヴィッチの1933年の自画像と妻の肖像のリアリズムな2作品が麗々しく架けられていた。心に重く響く作品だった。マレーヴィッチにすればしかたのない転換だった・・・。

ニコ・ピロスマニの作品が10点、ゆったりと壁に展示されていたのには感動した。数ヶ月前に出版されたばかりの画集でピロスマニを知ったばかりだった。ピロスマニはグルジアを舞台にした素朴な絵を描きつづけた。その放浪画家を見出したのはロシアの都会にすむロシア・アヴァンギャルドのアーティストたちだった。

一生をグルジアから出ることもなくのたれ死にした素人画家。土地を愛した素朴な画家と思われそうだが、実物の絵に接してぼくはそうは感じられなかった。昨今の民族主義的祖国愛とは無縁だったのじゃないかとぼくは感じた。ビロスマニの描く絵から、特に風景から寂寞とした孤独が痛い程伝わってきて、泣きたくなるような感情でぼく彼の絵の前も立ちつくした。ピロスマニはグルジアを愛していたわけじゃないだろう、金も教育もなければ、土地にへばりつくしかないじゃないか。と思って目頭が熱くなった。

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カテゴリー: Art