毒血と薔薇-コルトレーンに捧ぐ- / 平岡正明著を読んだ

ジャズを聞くために、アメリカの50年代から60年代にかけての公民権運動の知識は必要だろうか? ぼくは必要だと思っていた。本書を読んで、その思いをさらに強くした。公民権運動を知らないで演ったり、聞いたりしているものは、ジャズのようなものでしかないと思う。しかし、公民権運動は勉強して分かるものなのだろうか? ぼくの十代は、テレビのニュースで連日のように、激化する黒人の公民権運動を伝えていた。なので、ぼくは勉強しなくても知ることのできた世代だ。

ジャズを知るのは60年代の始めで、ぼくの中では公民権運動とは無縁のジャズだったが、戦う黒人とジャズを演る黒人を同一視するようになるのは時間の問題だった。60年代とはそういう時代だった。そして、ジャズはアフロ・アメリカンの黒い魂の音楽で、それまで聞いていた白人のアメリカン・ポップスにはないインパクトを与えられた。

しかし・・・、本書を読むとコトはそう単純ではないことが分かってきた。相倉久人氏のジャズ表現主義論を再考するページがある(P233)。
相倉氏のそれはリロイ・ジョーンズの理論を楽観的すぎると指摘したものだ。リロイ・ジョーンズの論は、ブルース衝動は合衆国黒人だけが先験的に有する感覚であり、ジャズはつねにブルースの下方からインパクトを受け続けて変わるというものだ。相倉氏はそれは逆だと指摘する。重要なので引用する。

合衆国黒人のなかにブルース感覚が年々薄れてゆくのではないか。ブルース衝動とは、都市のインテリゲンツィア化した黒人ミュージシャンが、自分がすでにハーレムの黒人共同体のなかに属していないという、都市・内・黒人の二面感情(アンビバレンツ)に引き裂かれ、黒人的なものに戻りたいという矢印が下向きの黒い危機感であると相倉は指摘した。したがって、引き裂かれた黒人ジャズマンは、ジャズを演奏するという行為のなかで、黒人であることをとり戻そうとし、ブルースをとりもどそうとするのである、と。(p233)

なるほど! ジャズを聞き始めた当時のぼくは多くのジャズファンがそうであるように、上品でモダンな音楽=モダンジャズを聞いていた。その頃、十代の終わりに、コルトレーンの『”Live” At The Village Vanguard』とアルバート・アイラーを続けざまに聞くに及んで、急速にフリー・ジャズに接近していった。それは合衆国黒人のブルース感覚に同調したというよりも、アイデンティティをブルースに見出そうといた黒人ジャズミュージシャンの魂の戦いに感化されたと見るのが自然だと、今になって分かった。

こうしたことを踏まえた上で、オーネットとドルフィーの『フリージャズ』とコルトレーン集団の『神の国』における集団即興演奏への言及がとてもいい。

踊りこそ「集団即興演奏」が可能だ。踊る肉体のリズムから合衆国における黒人的なものがよみがえったのである。合衆国南部におけるスペイン的なもの、フランス的なもの、アングロ=サクソン的なものによって多層的に分断されていたアフリカ的なものが、コンゴ広場で集団で踊ることによってよみがえった。黒い肉体が三層にわたる白人文化の包囲を突破したので19世紀末-20世紀初頭のニューオリンズの出来事だった。
よって、フリージャズの集団即興演奏によるニューオリンズ・ジャズの回帰現象は、フリーな演奏形態の源泉としてのニューオリンズへのないものねだりの回帰ではなく、黒人的なものの発見の起点でなければならない。オーネットもトレーンもその方向は外していない。ジャズにあっては「フリー」とは黒人的なものの強化である。(p46-47)

フリージャズを聞いていた頃の血のたぎるような感情が思い出される。
しかしこの後、本書ではコルトレーンの精神的変遷の批判へと展開していく。つまり、激化する公民権運動からトレーンは乖離していくというわけだ。であるなら、黒いジャズをどこに求めるのか・・・。

マイルスのファンクはフリージャズの集団即興演奏内部への踊りの回復である。彼の『オン・ザ・コーナー』や『イン・コンサート』がそうだ。(p46)

そうだ! 今日はそれらのCDを聞き、一人部屋で踊った。
ぼくは現在、黒いサウンドをヒップホップやエレクトロニックのクラブの爆音の中に見つけようとしている。

毒血と薔薇-コルトレーンに捧ぐ-
著者 平岡正明
発行 国書刊行会、2007年7月

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カテゴリー: 生活