NO WAVE―ジェームス・チャンスとポストNYパンク / 「チャンス本(仮)」製作委員会 企画・編集、(2)

本書の巻頭言といった場所にDNAのイクエ・モリさんが、ジェイムスは James Brown のように歌い踊りながら、アルバート・アイラーのように吹いて観客を圧倒していたと書いている。のっけからアイラーの名前が出てきたんで、ぼくはちょっと感動を覚えた。Aunt Sally の Phew さんのインタビューでは阿部薫の名前が出てた。美術評論家の椹木野衣氏はアルバート・アイラーとジェームス・チャンスの共通するサウンドについて書いている。

読み進むにほどに、本書が NO WAVE をノスタルジックに振り返るだけのものでないと分かりかけてきた。そして、現代のノイズ・ウェイヴの紹介に至るや、60年代初頭のフリージャズから70年代後半の NO WAVE へ、そして現代のノイズ・ウェイヴへと一直線につながった。ぼくは80年代の始めから2000年代まで、生活に追われる状態で音楽を聞かない期間が20年近くあったけど、幸か不幸かフリージャズ、NO WAVEをリアルタイムに聞き、ノイズ・ウェイヴを追っかけ始めたところだ。

だから、Kon-blog KITAMAKURA 管理人の武田かずき氏のロバート・クワインの追悼イベントメモの掲載を読み進めながら最後の事実に狂喜した。それは追悼イベントの最後にジェームス・チャンスとジョン・ゾーンが登場して、アイラー・バージョンの「Summer time」をカバーしたとあったこと。そのナンバーは63年録音の『My Name Is Albert Ayler』に収録されている。
(ブログの該当記事はhttp://ktmkr.blogspot.com/2004_12_01_archive.html

(1)に書いたがぼくが始めた買ったフリージャズのアルバムがアイラーだったせいもあり、アイラーには長く愛着を持っていた。しかし、当時のフリージャズ・ファンはアイラーのサウンドを軽く見ていたようだった。コルトレーンやエリック・ドルフィーが死後も長く語られ続けられたがアイラーは違った。アイラーの場合は、70年にNYのイーストリヴァーで射殺体となって発見されたというニュースの衝撃が収まったあとはもう、話題になることはなかった。70年頃に阿部薫を初めて聞いたが、その衝撃はアイラーを初めて聞いたときと同じだった。そんな訳で本書では随所にアイラーが取り上げられているのがとても嬉しかった。

アイラーを聞く前のぼくはモダンジャズというくくりで耳障りのいいハードバップから、当時、スタイリッシュなサウンドだったデイブ・ブルーベックの『Take Five』やスタン・ゲッツの『ゲッツ / ジルベルト』なんかを聞いていた。それがフリージャズに出会い、アイラーを聞くや、それまで聞いていたジャズでは得られないレベルの快感に酔った。それらスタイリッシュなジャズは単に気晴らしに聞くポップスや歌謡曲と同レベルに思えてしまった。

フリージャズのノイジーなサウンドの中にリアルな世界に没入する感覚、または自分と向き合う衝動を得た。それが快感だった。繰り返すが60年代初頭はフリージャズを、70年代後半には NO WAVEを聞いていた。そして今さらだけど、ソニック・ユースの『Daydream Nation』に酔っている。ソニック・ユースのアルバムはぼくが音楽をきかなくなる頃に出て来た。遅れてきたパンクか・・・ぐらいの認識だった。

残念なのは、70年代後半にフリージャズを聞かなくなったので、80年代に登場したジョン・ゾーンをリアルに聞けなかったこと。80年から2000年までの空白があったけど、この夏には山塚アイの8時間に及ぶDJを体感するなど、60年代から始まったサウンド体感がいまだに途切れていない。自分でもバラバラに思える長い音楽体感だが、本書はそれに整合性を与えてくれた。

NO WAVE―ジェームス・チャンスとポストNYパンク
企画・編集 「チャンス本(仮)」製作委員会
発行 Esquire Magazine Japan Co.,Ltd、2005年7月

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カテゴリー: Music