1994年フランス映画。1975年、パリの高校3年生の5人の仲良し男子生徒を描いた映画。高校を卒業して数年後、その4人の仲間が再会する。中の一人がドラッグのオーバードースで死に、その恋人が出産にあたって4人を呼び集める。産婦人科病棟の待合室で4人は75年の高校3年生のときを振り返る。当時、彼らは学生運動と大学受験の狭間で揺れている。大部分は大学受験を目指す中、一人は受験を止め、ドラッグで死んだ一人は退学になっている。
学生運動、ドラッグ、セックス。背景にジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンなどの当時のロックが流れる。ぼくは75年のパリの高校生の運動を知らなかったので、有名な1968年のパリの五月革命につらなる60年代後半のことかと思って見ていたが違ったようだ。そうすると、団塊世代以後の世代を描いていることになるが、どう見ても団塊世代が喜ぶ映画だと思う。実はぼく自身も団塊世代の中でカウンターカルチャーをリアルタイムに体験しているので、ノスタルジーをそそられる映画だった。
この手の映画は何本もあって、見るとそれなりに面白いが、今回は映画を見ながらちょっと感じるところがあった。それは団塊以後の世代が団塊世代に向ける冷たく鋭いまなざしを意識せざるをえなかったことだ。この映画では、高校生をコミカルに描いているせいもあって、当時の鬱屈した心の内が同時代を生きたものには理解できることなのだが、素直に画面に現れていない。そんなことから団塊世代意外は冷たい目で見るだろうな、と思った。
実際、現在の若者の鬱屈したこころの方が重いと思う。当時はそんなやり場のない気持ちをそれなりに発散することができたと思う。やっぱり今に比べるなら幸せだったんじゃないかと思う。そのうえ、郊外一戸建て住宅に住む専業主婦という幸福のパターンを作りあげたのも団塊世代だし、大量退職だと言われているが、年金受給も若い世代に比べるなら保障されている。こんなあれやこれやを考えると、ぼくも団塊世代の端っこにいて、こんなおちゃらけた映画で、のほほんと笑っていては、まずいのではないかと思った。