かくも長き不在 / 戦争の悲劇を描いたマルグリット・ディラス原作の映画

1960年フランス映画、アンリ・コルピ監督。第二次大戦が終わった十数年後のパリ。下町でカフェを開いているテレーズ(アリダ・ヴァリ)は、戦争中のある日、ナチスの秘密警察ゲシュタポに連行されたまま生き別れとなっている夫に似たホームレスの男を見て驚愕する。男は記憶喪失で、もちろん妻のことを覚えていない。テレーズは夫の母親に見てもらうが、彼女は違うという。あきらめきれないテレーズは、男を食事に招待する。

食事が済んで、テレーズはチーズは好きか、と尋ねる。このシーンがよかった。チーズは何が好きかと尋ねる。男はなかなか名前が出て来ない。ブルーチーズではないかと、テレーズ。男はそうだと言う。この季節の本物のブルーチーズが手に入った、と大きな塊の載った皿をテーブルに置く。

この時の男の手つきにぼくは感心した。ナイフとフォークでさっと切り取り、自分の皿にのせる。そして、ナイフとフォークでゆっくりと食べる。テレーズはワインを注ぐ。男は長いこと食べていないと言う。ぼくも長いこと食べていない(笑)。こんな風にブルーチーズを食べたい。

映画の方は結局、最後まで男の記憶は戻ることなく終わる。非常に陰気な映画だ。同じ頃のディラス原作の映画『雨のしのび逢い』も陰気だったが、ずっといい映画だった。この『かくも長き不在』はちょっと退屈したが、長くこころに抱いていた映画なので最後まで見た。

日本では1964年、ATG(日本アート・シアター・ギルド)の配給作品だ。ぼくはATGが発行する雑誌『アートシアター』の定期購読をしていたので情報は持っているが、住んでいた地方都市には、ATG配給の作品の全てが上映されるわけではなかった。見る事のできない映画ほど、記憶に残り続ける。『かくも長き不在』もその1本だった。

70年代に入ると、フランスのヌーヴォロマンと言われる小説が続々と翻訳された。そのとき、マルグリット・デュラスのこの映画の原作を読むことができて、余計にこの映画が見たいと思っていた。実際に見ると、デュラスの小説の方が感動的だった。しかし、ぼくが中学生から高校生だった、60年代初頭は第二次大戦の悲劇をリアルに描いたヨーロッパ映画が続々と上映され、たくさん見ている。

日本でも、溝口健二監督や成瀬巳喜男監督などが背後に第二次大戦のある作品を50年代に作っているが、ぼくはそれらを幼くて、リアルには見ていなかった。現在でも、まだまだ第二次大戦の悲劇を描く映画が続いている。アンソニー・ミンゲラ監督の『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年)や吉田喜重監督の『鏡の女たち』(2002年)などが好きな作品だ。

中学や高校での日本史の授業は、第二次大戦は約束ごとのように時間切れで終わってしまい習っていない。しかし、ぼくは年のわりに第二次大戦にはちょっとだけど詳しい。生家が葬儀や法事、その親族の公式行事が行われる場所で、ぼくの幼い頃は大人の集まりが頻繁にあった。テレビもない時代で大人が集まると決まって戦争の話だった。

中国戦線や南方諸島の過酷な闘い。または、満州からの引き上げやシベリア抑留などが繰り返し、話しに出るのでイヤでも第二次大戦の知識が蓄積した。ぼく自身は戦後生まれで直接には戦争を知らないが、戦争の記憶は一生持ち続けるはず。『かくも長き不在』が映画として退屈だったとはいえ、第二次大戦の悲劇を巧みに描いていることは確かなことだ。

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カテゴリー: Movie