リプリー / 「太陽がいっぱい」よりいいのは時代の違いか

1999年アンソニー・ミンゲラ監督、アメリカ映画。数年前に初めて見た時、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』に比べて『リプリー』は駄作だと思った。あのアラン・ドロンとマリー・ラフォレの魅力に比べたら、好きな女優だけど、グウィネス・パルトロウも負ける。あのどん欲でなおかつ繊細なアラン・ドロンにマット・デイモンは比較できない。実際、『太陽がいっぱい』は何度も見た青春の思い出の映画だったので、『リプリー』は長い間、問題外の映画だった。

しかし、『イングリッシュ・ペイシェント』が好きで何度か見ているうちに同じアンソニー・ミンゲラの作品の『リプリー』が気になってきた。注意していないと気づきにくいが、ファーストシーンはラスト・シーンと重なっている。映画の終わり頃、リプリーは好意を寄せている音楽家のピーター・スミス・キングスリーを殺す。何度目かの殺人だ。その直後がファーストシーンというわけだ。ここでリプリーは「できることなら自分の人生をやり直したい。上着を借りた時点からやり直したい・・・」と言い終わらないうちに、ニューヨークの私的なパーティでリプリーはソプラノ歌手のピアノ伴奏をしているシーンに変わる。この時に着ているジャケットが借りたものだ。名門大学の上着からリプリーは誤解される。リプリーはその誤解を否定しなかったばかりに、その後の人生は取り返しの付かないものになってしまう。

『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンは若者なら誰でも感情移入することのできる主人公だった。ルネ・クレマン監督は彼との関係で魅力的な主人公を演出したに違いない。殺される放蕩息子の方は映画の観客である多くの青年たちからは、殺されたってどうでもいい人間だった。

ところが、『リプリー』では殺される男たち、主に有産階級の子弟たちは放蕩息子と片付けられない才能の持ち主たちだった。彼らにはお金ではなくて、特別な才能の持ち主たちだった。ビンボー人のリプリーに欠けているのはお金だけではなくて、才能も欠けていた。だから、モダン・ジャズもクラシック音楽も勉強して身につけたものだ。彼に殺される、ディッキー(ジュード・ロウ)はモダン・ジャズを勉強したのではなく、感じていた。リプリーはモダンジャズの知識があっただけなんだ。それを見抜いていたディッキーはリプリーを「退屈な男」とののしった。

ディッキーとリプリーはサンレモジャズ祭に出かけるが、1958年のスーパーが出る。58年というのは一般的にモダンジャズと呼ばれるハード・バップが最盛期を向かえた時代。そのハード・バップは40年代のチャーリー・パーカーのビバップを進化させたものだった。映画の中で「グレン・ミラーはジャズじゃない、ジャズはバード(チャーリー・パーカ)さ」というリプリーの台詞がある。これはリプリーの勉強の成果だ。

当時、ビバップやハード・バップを聞いていた白人は知識人かヒプスターと呼ばれる詩人などの前衛的なアーティストだけだった。ほとんどの白人はディッキーの父親のように単なる騒音と感じて嫌っていた。なぜなら、ジャズは黒人の魂のサウンドだったからだ。ディッキーはこの時代のヒプスターに近い人物として描かれている。その感性は努力で手に入るものではないゆえに、リプリーはディッキーに憧れた。

金も感性もない哀れな青年が映画『リプリー』のリプリーで、『太陽がいっぱい』のアラン・ドロンとは次元が異なる。映画『リプリー』はもちろん、リメイクでもないし、太陽とも全く無縁の映画なんだと思う。どちらがいい映画かと言うと、『リプリー』だが、これは時代の違いとしか言いようがない。

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カテゴリー: Movie