阿部薫 1971 CD#1 アカシアの雨がやむとき

阿部薫は黙って立ち上がると、バスクラのケースを取ってきて楽器を組立てた。そして、何も言わずに演奏を始めた。ほどなく、西田佐知子の有名な「アカシアの雨のやむとき」のメロディが流れて、ぼくは誰彼となく顔を見合わせた。そして、阿倍のフリーインプロヴィゼーションが延々と続いた。これが初めて聞く、阿部の「アカシアの雨のやむとき」だった。

本アルバムの1曲目「アカシアの雨がやむとき」を聞くと、目の前でプレイするその夜のバスクラの輝きまでが目に浮かんで来る。1970年頃だと思うが確かなことは分からない。大阪天王寺だが日本最大の貧困層の街「釜ヶ崎」と目と鼻の先のジャズ喫茶「マントヒヒ」のライブの終わった深夜のことだ。狭い「マントヒヒ」とはいえ、店には入りきれない客が京都をはじめ関西一円から押し掛けた。ライブが終わってその喧噪も去り、深夜を回って残っていた常連客も大方帰り、すっかり静かになった店内の、わずかに残った数人の前で阿部は突然に演奏を始めたのだった。

先日は風邪気味の中、ジョルジョ・バタイユの小説『空の青み』に読みふけった。主人公のアンリは女をとっかえ引っ替え大戦前夜の1930年代半ばのヨーロッパを彷徨するデカダンスな資産家だ。ロンドンから始まってパリ、ウィーン、一旦パリに戻り、スペイン市民戦争直前のバルセロナへ、そしてカタロニアの寒村に逃れ、今度はドイツ、モーゼル地方へ。そしてフランクフルト駅のホームで女を見送り始めて一人になって終わる。

マントヒヒでの阿倍のライブは何回も行われ、開演前、ぼくは何度か阿部の相手をして近くの居酒屋で焼酎を飲んだ。どーでもいいような会話ばかりだったが、阿部がセリーヌとバタイユの名前を口にしたことを覚えている。

『空の青み』も中頃まで読み進むと、この退廃的なストーリーの影に泣きたくなるような「孤独」を見つけるや、突然に阿部薫の顔が浮かんできた。阿部はこの小説の孤独に共感していたに違いないと、絶対的な確信に導かれるようにぼくは小説を読み進めた、涙が出そうになった。

そして阿部薫のCDに耳を傾けたわけ。本CDは1971年10月31日東北大学教室でのライブ。ドラムの佐藤康和とのディオ。全てが71年ライブの小野好恵プロディースによる3枚のうちの1枚目。ぼくはさんざん阿倍のライブを聞いてきたので、CDはほとんの聞くことはない。でも、今回ばかりはいままでになく阿倍薫のサウンドが心地よかった。一口に言って、延々と続く阿部のフリーインプロヴィゼーションはアイデンティティーの表現だと思っている。エリック・ドルフィーやジョン・コルトレーン、アルバート・アイラーに惹かれるのも同じ理由だ。

これらのミュージシャンのプレイをもう十数年も避けてきたようだ。この夏から始めたクラブ通いが阿部薫を引き入れたのかもしれない。70年頃、マントヒヒに押し掛けたクラウドで満員になった店内は、今のクラブとよく似ている。70年代も年が経つにつれて、音楽理論の専門教育を受けたミュージシャンが現代音楽の影響下にフリージャズをエリート意識の強い音楽にしてしまった。そして、ぼくはフリージャズを聞くことを止めた。それは、阿部薫が29才で亡くなった78年頃のことだ。

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カテゴリー: Jazz