村上春樹著『ねじまき鳥クロニクル』を読んだ

とても長い小説のわりには、早く読んでしまった。退屈なエピソードは飛ばし読みしつつも、全体のストーリー展開に引きづり込まれてしまった。確かにおもしろいが、主人公がある時から霊的な能力を持つなど、話にリアリティが感じられなく、小説に共感できなくもあった。だから、単におもしろいだけを求めているだけだったら、途中でやめていたと思う。

この小説を読むきっかけが、この小説には戦争加害のトラウマが描かれている、というサイコロジストの書いたものを読んだからだった。そこには、その存在を指摘しているだけで解説はないので、ぼくにはよく分からないのだけど、とても気になって、読み始めた。

戦争加害のトラウマへの関心がなかったら途中でやめていたと思う。第3部に入ると、このことがある程度明らかになっておもしろかった。でも、様々な記憶や出来事が錯綜しつつ小説になっているので、一度の通読では何が戦争加害のトラウマなのか、正直ぼくにはよく分からない。

話しは、無理につじつまを合わせてるようにしか思えないストーリー展開とも感じられた。でも、それは著者が戦争加害のトラウマを表現しようとするところから導き出された手法ならと好意的に思って読んだ。つまり、ぼくはよくわからないままにも、戦争加害のトラウマという点に関しては、著者から強い影響を受けたのかもしれない。

ぼくの幼い頃は戦争体験の話で満ち満ちていた。それは戦地での苦しい話ばかりだった。今から思うと、戦争体験を語る大人たちは中国大陸や南方から復員してまだ10年も経っていなかったということに驚く。当時の幼いぼくは、生まれる前の遠い昔の戦争ぐらいにしか感じていなかった。今、この歳になると、10年にもならない記憶なんて、昨日のこととほとんど変わりないよね。

テレビもなかった時代で、人が集まると戦争体験が繰り返えされ、幼いぼくはその輪の中にいた。大人たちは延々と、酒の酔いもあるが話そのものに酔い、軍歌の合唱になった。そんな、いつか忘れるだろと思っていた記憶が年ごとに強くなる。まもなく終戦記念日がくる。いいタイミングで『ねじまき鳥クロニクル』を読んだと思った。

悲しみがまとい付くゲイ小説『ダンサー・フロム・ザ・ダンス』を読む

アンドリュー・ホラーラン著、栗原和代訳(マガジンハウス、1995年7月発行)
Dancer from the dance by Andrew Holleran, 1978

1970年代、ニューヨークの狂気と絶望のゲイライフを描いた素晴らしい小説だ。この小説にはエイズは描かれていないが、それを予感させる描写がある。80年代初めのエイズによって、70年代のゲイライフは以後と分断されている。だから、70年代は二度と体験することのできない狂気と絶望のゲイライフであったらしい。70年代のマンハッタンはディスコの時代でもあった。ゲイの存在なしに、当時のディスコ・カルチャーを語ることはできない。

「彼はぼくにとって、ある冬ディスコで見かけるようになった常連に過ぎなかった。」と小説の本編は始まる。彼とは小説の主人公であり、ぼくとは著者のアンドリュー・ホラーラン自身という構成の物語だ。

1971年に開店した、一部の人々にしか知られていないディスコの話が最初に出てくる。物語の後半は、「ディスコが中産階級のオモチャ」になってダメになる70年代中頃というわけで、ディスコ・カルチャーの歴史をトレースしている。ここんところが、この小説を読むきっかけだった。しかし、読後の印象は、いつまでも悲しみがまとい付く、忘れられない美しい小説だった。

サブカル・ニッポンの新自由主義-既得権批判が若者を追い込む

鈴木謙介 著(筑摩書房[ちくま新書747]、2008年10月発行)

タイトルに惹かれて読んだ。ささっと読んだだけで、正直、よく理解できていない。著者の表現にクセがあるので、読みにくかった。しかし、現代社会をきっちりと分析していると思うので、もう一度読むつもりだ。著者の本は始めてだが、1976年生まれのロストジェネレーション世代の若い社会学者であることが、本書から匂い立つ。ぼくは好感を抱いた。カウンターカルチャーのヒッピーや団塊世代の分析はいけてると思う。とにかく、もう一度、じっくりと読むつもり。

さて、本書の始めと終わりに何の説明もなく、二つの引用がある。

――鈍行ながらも、僕らは希望往きの列車に乗り
後悔の駅で途中下車さ
(アナ「OK」)

――みすぼらしくてお粗末な自由にくるまった僕らは
ふさわしい王国の中でいつもにやついてたんだ
(ザ・カスタネッツ「ハック」)

検索したら、ロックバンドの歌詞らしいと分かった。うまいフレーズだよな。ひたすら感心。

ほとばしる夏

ジェイン・レズリー・コンリー 著、尾崎愛子 訳(福音館書店、2008年7月)

ほとばしる夏 (世界傑作童話シリーズ)
ジェイン・レズリー・コンリー
福音館書店
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シャーナと弟のコーディーは時々けんかもするけど、仲の良い姉と弟で、二人は家の近くの川で泳いだり釣りをして遊んできた。シャーナの大好きな父親が家を出て行ったので、電話交換手をしていた母親は、職場に転勤を願い出る。ほかの州など旅行もしたことのない二人の子どもは母親に付いて、バージニア州から隣のメリーランド州へ引っ越して、今までの町よりも都会に住むことになった。

都会の生徒たちはクールで、南部なまりのあるシャーナを相手にしない。弟のコーディは目立とうと馬鹿なことを繰り返すが、受け入れられそうにない。ある日、母親の同僚がペンシルバニア州南部の川沿いの小屋を借してくれることになった。三人は夏休みをここで暮らすことにする。母はここから車で職場に通う。昼間、姉と弟は二人きりで川で遊ぶ。その上、シャーナには読書と物語を書くことが好きだった。そして、森林管理官を自称する川を愛する老人との出会いが、シャーナの特別な夏となる。

原題は『Trout Summer』。9月が近づき、川沿いの小屋を立ち去る日、シャーナはみごとなマスを釣り損ねる。一瞬、川面に姿を現したマスは彼女の記憶に生き生きと刻み込まれる。しかし、この夏の記憶はマスだけではない。9月になると高校生になるシャーナがアイデンティティを自覚する夏だった。『ほとばしる夏』とはほんとうに素敵な題名をつけたものだと思う。ぼくは、このタイトルに惹かれて本書を手にしたんだ。

月桂樹の木立の中に
ほとばしる流れの音の中に
ニジマスの模様の中に
私の名前をさがしにゆこう

川に入り江の中に
アルゴンキン族の野営地の中に
ツガの緑の枝先に
私の名前をさがしにゆこう

シャーナはある日、川べりに立ち、何百年も昔にこの川ぞいに住んでいたインディアンの一族に思いをはせる。すると、彼女と同じような年頃の女の子が想像され、不意に詩が聞こえてくる。それを書き留めたのが上記の詩だ。父親が出て行ったことを契機に、家族はそれぞれが自分の道を選択することになる。その現実をシャーナが受け入れるまでを描いた美しい小説だ。

僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝

僕の起業は亡命から始まった!―アンドリュー・グローブ半生の自伝―¥¥アンドリュー S. グローブ著、樫村志保訳(日系BP社、2002年9月発行)

世界最大の半導体メーカー “インテル” の設立メンバーの一人、アンドリュー・グローブの自伝。非常におもしろい。1936年の誕生から1960年、ニューヨーク市立大学を卒業し、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に進むため、車でサンフランシスコに到着するまでが描かれている。インテルを設立するのは8年後の1968年だ。

アンドリュー・グローブは、ハンガリーのブダペスト生まれで、20歳の1957年にアメリカに亡命する。本書はその間を克明に書き記した自伝。なんか、すごすぎる半生で驚いた。同時に当時のブダペストの状況が非常によく分かる内容となっている。

著者がアメリカへ亡命するきっかけは1956年のハンガリー動乱だ。計算すると、ぼくは小学4年生ということになるが、新聞紙面に大きく掲載された戦車の写真を見たことを今でもかすかに覚えている。でも、確かなことはもう分からない、ひょっとしたら1968年の「プラハの春」と混同しているかもしれない。

1956年、ハンガリー国民は共産党政府の圧政に対して蜂起するが、ソ連が軍事介入してくる。そんな暗いブダペストで大学へ通っていたアンドリュー・グローブだが、ある日、ナチスのアウシュヴィッツの生き残りであるおばが訪ねてきて、亡命をすすめる。

そう、アンドリュー・グローブの半生は、平和と圧政による緊張が繰り返されるブダペストでの生活だった。ナチス・ドイツの侵攻とユダヤ人であることで受ける迫害、ソ連軍がドイツ軍を追いやって、第二次大戦は集結するものの、その後のハンガリー国内における共産党の独裁政治。共産党政府への国民的蜂起をきっかけにソ連軍の侵攻という具合だ。この時代の歴史がよく分かる。

また、文章が生々しいので、特にハンガリーから隣国のオーストリア国境を徒歩で越え、最終的には困難を乗り越えて希望するアメリカはニューヨークへ船で到着するところは感動的だった。亡命の困難なことがとてもリアルに伝わってくる。

第二次大戦後、ソ連が北海道をあるいは日本を占領していたら・・・。ぼくも似たような境遇にあっていたかもしれないという想像が本書によってとてもリアルに描ける。ぼくは著者のように亡命をする勇気があっただろうか。あるいは著者のおばが亡命をすすめたのは、ブダペストの街でソ連軍がハンガリーの青年達をトラックに強制的に乗せているのを目撃したからだった。強制労働が目的でソ連へ送られる人生も可能性としてはあったんだ・・・という空想をしてしまうほど、なんか、すごい筆力のある自伝だった。

クローム襲撃 / ウィリアム・ギブスン著サイバーパンクSF

ウィリアム・ギブスン著、浅倉久志・ほか訳(早川書房、1987年発行)
“Burning Chrome” Copyright 1986 by William Gibson

『ニューロマンサー』の著者、ウィリアム・ギブスンの初期の短編集。10編の短編からなるが、以下の5作品がすごい。
・辺境(初出「オムニ」1981年10月号)
・ニュー・ローズ・ホテル(初出「オムニ」1984年7月号)
・冬のマーケット(初出「ヴァンクーヴァー・マがジン」1985年11月号)
・クローム襲撃(初出「オムニ」1982年7月号)

「辺境」は本格SFだがおもしろい。それ以外の4作品はウィリアム・ギブスンの長編小説を読む上で、欠かせない短編小説だ。これらの作品がアイデアとなって、長編小説ができあがっている。

ギブスンの小説は思い出、記憶などが、ストーリーの中に頻繁に挿入されるので、さらっと飛ばし読みをしていると、わけが分からなくなる。短編でも同じだが,ギブスンの小説の構造に短編で慣れておくと長編が読みやすくなる。それに、さまざまなテクノロジーなどもそのまま長編に応用されている。

そして、ウィリアム・ギブスンの作品はサイバーパンクSFであると同時に、非常にセンチメンタルな恋愛小説でもある。高度なテクノロジーばかりに関心を奪われていてはギブスンの世界に没入できない。主人公と共に悲恋で胸いっぱいな感情に浸るのがギブスンの小説の快感かも・・・。

アメリカ・ポップカルチャーのヤバい本『ドラッグ・カルチャー』(1)

ドラッグ・カルチャー―アメリカ文化の光と影 1945‐2000年ドラッグ・カルチャー
―アメリカ文化の光と影(1945~2000年)―

マーティン・トーゴフ著、宮家あゆみ訳(清流出版、2007年12月発行)

ほんとにすごい本だ。ジャズやロックなど、アメリカのポップ音楽を長く聞いてきたぼくとしては、とてもヤバイ内容だ。500ページの大冊なので、なかなか読み切ることができない。半分まで読み進んだところで内容を整理しておこうと思う。

本書はアメリカ文化とドラッグの関係について書かれた文化史だ。ドラッグ抜きにアメリカ文化は語れないとしながらも、決してドラッグを礼賛する内容ではない。著者のマーティン・トーゴフは訳者あとがきで、ドキュメンタリー・フィルム製作者であり作家でもあると紹介されている。年齢は書かれていないが、1969年、高校生のときに初めてマリファナを吸ったとあるから、1950年代初頭の生まれだろう。

第1章 なにものをも恐れず、解放され、自由だ

著者マーティン・トーゴフ、1969年のハイスクール時代のマリファナ初体験からはじまる。それをやめさせようとする父親との激しい葛藤。1970年にはLSD体験。そして70年代のドラッグ体験。1980年代初め、恋人がコカインをやり始める。彼は恋人をコカインから救おうとする。それが、かつての父親の姿と重なる苦い皮肉を知る。彼自身がますますドラッグにのめりこんでいくのに恋人を救えるはずがない。5年後、彼女は事故で死んでしまう。

第2章 バップの黙示録

ジャズのビ・バップ、チャーリー・パーカーと彼を敬愛した若き日のジャッキー・マクリーンのこと。そして、ビ・バップとビートニクの関係。ウイリアム・バロウズ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ニール・キャサディなどなど。そして彼らビートニクたちにドラッグを教えたハーバート・ハンキーによる当時の証言。

第3章 サイケデリックの夜明け

1960年夏、ティモシー・リアリーはメキシコ産の謎のマジック・マッシュルーム、シロシベ・メキシカーナを始めて口にする。それからハーバード大学でサイケデリック・ドラッグの研究が始ったこと。LSDがアシッドと呼ばれ始めた西海岸のこと。

第4章 誰もが一発やられるべきなんだ

トム・ウルフのアシッドテストとグレイトフル・デッドの疾走するサウンド。ヘイト・アシュベリーやサイケデリック・ロックに欠かせない人物、安価で強力なアシッドを大量生産した人物,オーガスタス・オウズリー・スタンレー3世のこと。1966年、サンフランシスコのトリップ・フェスティバル。このフェスティバルを運営したビル・グレアム。そして、ジム・モリソン(ドアーズ)のナンバー「The End」の収録模様とプロデューサー、ポール・ロスチャイルドのこと。そのポールが語るボブ・ディラン。ビル・グレアムの語るジャニス・ジョプリン。そして、1967年6月のモンタレー・ポップ・フェスティバルの詳細。特にジミ・ヘンドリックス。
フェスティバルは幕を閉じ、モンタレーに向かう若者たちを描いたスコット・マッケンジーの歌「花のサンフランシスコ」が絶え間なく流れる中を若者たちはヘイト・アシュベリーを目指した。サイケデリックの春が終わりを迎え、サマー・オブ・ラブが始ろうとしていた。と第4章が終わる。第5章はヴェルベット・アンダーグラウンドから・・・。

ペニー・フロム・ヘブン / ジェニファー・L・ホルム著の児童文学

ペニー・フロム・ヘブン表紙の絵がすごくいい。青い空、緑の芝生、女の子が野球のグラブをはめている。いかにもアメリカってな感じ。1953年、ニューヨークの南隣のニュージャージー州。女の子は11才のペニー。いとこで仲良しの男の子フランキーと一緒に野球をやっている。ショートを守るが、フランキーに言わせるとペニーの右肩はそこらの男の子に負けないって。でも、ほかの女の子たちは野球に関して言うなら、プレイする側から応援する方に変わっている。そんな年頃らしい。

大リーグはブルックリン・ドジャースの大ファン。周りはニューヨーク・ヤンキースを応援する土地柄だけど、大好きなドミニクおじさんとドジャースを応援している。ドジャースがロサンゼルスに移ったのは1957年のことでこの頃はブルックリンに球場があった。ペニーは球場での野球観戦を夢見ているが、母さんがニューヨークに行くことを許してくれない。ラジオの野球中継をドミニクおじさんと聞いている。

ドミニクおじさんは父さんの弟で、ペニーの父さんは亡くなっている。ペニーの家族は、事務員をしている母さんと母さんの両親、ペニーのじーじーとばーばーの4人暮らし。料理はばーばーが作るけど、これが最悪。この料理をめぐっては何度も笑わせる。それともう高齢でおもらしをするイヌのスカーレット・オハラがいる。もちろんあの映画「風と共に去りぬ」からの名前。

ペニー家では静かに食事をするが、イタリア系アメリカ人である父方の親戚の食事に招かれるのがペニーは大好き。大勢の親戚が集まる日曜の食事はお昼過ぎからはじまって夕方まで続く。次々に出てくるおいしいイタリア料理、オペラのレコード。そして楽器を持って歌い出すという風なとっても賑やかな場でペニーは姫と呼ばれて、みんなから愛されている。母さんは父さんの親戚から距離を置いているのでその食事を共にすることはない。

こんなペニーを中心としたストーリーが、おもしろおかしく綴られる。ストレスで固くなったアタマをほぐしてくれる最高の小説だなーって読んでいた。で、この小説を読もうと思ったら、ここもこれ以上読まない方がいいかもしれない。この小説を紹介するほかのブログも読まない方がいいかも。なにも知らないで読んだ方が絶対におもしろいと思う。

***

と、言う事で進めるけど、ネタバレって言葉はあまり好きでないけど、劇的な展開のある小説ではやっぱり配慮して、書かないようにしている。特に児童文学の場合にはこのケースが多い。本書の場合、劇的な事故や過去の真相、良い事も悪い事も、淡々としたストーリーの中で前触れもなく突然にやってくる。その書き方が絶妙でほんとうまいと思う。

知っている人だけど、小説は最初にちょっこと読み、それから結末を読んでから、おちついて読み進めることをやっている。これじゃー、劇的事件に遭遇するワクワク感が味わえないと思うけど、ま、人それぞれだよね。

ペニーは大きな事故に遭い、克服して成長する。そー、最後はハッピーエンド。ハッピーエンドのきっかけも、ささいなエピソード。それは小説の始まりから用意されている。うまいよ、ホント。第二次世界大戦が終わって、まだ8年。ペニーはぼくより4才年上。ぼくの周りでも同じように戦争の話がさかんだったんだ。あの爆弾をイタリアにも落とせばよかったんだ・・・、なーんてどっきりするような会話もある。イタリア系アメリカ人の合衆国における微妙な立場も勉強になった。いや、それ以上に11才や12才で親と真剣な会話をすることに感心した。ぼくにはそんな記憶はない。

ジェニファー・L・ホルム 著
もりうちすみこ 訳
ほるぷ出版、2008年7月発行

Penny From Heaven
(c) 2006 by Jennifer L. Holm

ニューロマンサー / ウィリアム・ギブスン著サイバーパンクSF

ニューロマンサー (ハヤカワ文庫SF)ウィリアム・ギブスン著 黒丸尚訳(早川書房、1986年発行)
“Neuromancer” Copyright 1984 by William Gibson

20年前にパソコンを買ってから小説を読むことが減った。ほぼ10年前にウェブ制作をするようになってからは、小説をほとんど読まなくなった。長編を読み切る時間が取れず、短時間で読める児童小説とか絵本を読んでいた。20日前にハウスミュージックのDJスピンクルズ(DJ SPRINKLES a.k.a TERRE THAEMLITZ)のプレイでフロアーで踊っているとき、何年も読んでいなかった『ニューロマンサー』を無性に読みたい衝動にかられて、帰ってから読み出した。そして、やっと読み切った。

本書はサイバースペース(電脳空間)を舞台にした幻想的な小説だ。本書以降これらのSF小説はサイバーパンクと呼ばれる。特殊な電極で脳とコンピュータ端末を接続、全世界のネットのデータを頭の中で視覚化した世界がサイバースペースだ。この辺は、士郎正宗のコミック『攻殻機動隊』(1991年)を見ているので、イメージの具体化に役立った。

小説の主人公ケイスは共感覚幻想の中に、肉体を離脱した意識を投じる特注サイバースペースに没入して盗人として活躍するクラッカーだ。

港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。

と、日本のチバ(千葉)から小説はスタートする。チバ・シティは臓器移植や神経接合、マイクロバイオ工学の最先端テクノロジーが集積した無国籍的な都市。チバの闇医療はテクノ犯罪者を吸い寄せている。ケイスにはチバの闇医療に頼る理由があった。チバ・シティの描写はリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』(1982年)に酷似している。

ケイスはチバでクライアントを得て、フリーサイド(自由界)と呼ばれる植民島の一つ、ザイオンに向かう。本書の3分の2は、宇宙空間に浮いているコロニー、ザイオンが舞台だ。ザイオンを創設したのはラスタファリアン崇拝者たちで、ザイオンではダブのビートが響いている。

だからといって、この小説のBGMがレゲエやダブだとは思わない。ディープなハウスやミニマルテクノが合っていると思う。ケイスたちの仕事場は肉体を離脱したサイバースペース。そう、浮遊する知覚に目眩する感覚が本書の魅力だと思う。ここは無機的なサウンドこそが合っている。

ぼくが本書を初めて読んだのは1990年頃だった。全く理解できなかったが、本書の不思議な魅力の虜になって、以来、何度か繰り返し読むうちに少しづつ理解が深まった。初めてのパソコンを買ったのは本書に出会う数年前の87年だった。当時はLanでもなければ、ネットももちろん知らなかった。今は本書を理解できる条件が揃い、感覚的によりストーリーに没入できるようになった。

生きのびるために / タリバン政権下のアフガニスタンを描く児童小説

生きのびるために (外国の読みものシリーズ)児童向けの小説だが内容はかなりきつくて、読後は暗い気持ちになる。一応、テレビの報道番組や活字を通してアフガニスタンのことを少しは知っている。しかし、この小説に描かれた過酷な生活はショックだ。少しは報道されているだけに、ここに描かれた現実が誇張でないことが分かるので、余計に衝撃が大きい。

タリバン政権下のカブールの一家族が描かれている。女性は男性同伴でなければ、外へ出ることはできない。父親がタリバン兵に連れ去られた11才の少女パヴァーナは、一家の窮状を救うために髪を切った。少年になってカブールの街で金を稼ぐ。

著者のデボラ・エリスはカナダ人。1997年と1999年の2度、パキスタンのアフガン難民キャンプをおとずれ、タリバン支配下のアフガニスタンについて綿密な聞き取り調査をおこなっている。本書は2000年に発行されている。だから、2001年9月の同時多発テロ以前のアフガニスタンが描かれている。

主人公のパアヴァーナは生まれてからずっと、内戦による爆撃が続く生活。その上、日常的に地雷の恐怖。そしてタリバンの過酷な支配。やはり男装で働く友だちはそんなカブールを脱出してフランスで暮らすことを夢見て、その実現に向かって歩んでいる。

デボラ・エリス 作
もりうちすみこ 訳
さ・え・ら書房、2002年2月発行