十日えびすの “えびすビレッジ”

10日の今宮戎神社の「十日えびす」に行った。写真は露店が延々と並ぶ沿道に出店した “えびすビレッジ” 店内。22時からの AOKI takamasa のDJで大勢のお客が熱狂している。ビレッジ入口を入ると、フードやドリンクを販売するカウンターが広く取られて、さらに進むとそのカウンターの端っこにDJブースが設けられている。写真の右側にはテーブルと椅子のとても広い飲食スペース。そこも「十日えびす」参りのお客がびっしり。DJブース前でステップを踏んでるのは、たいていどっかのクラブで踊ってる連中。AOKI の放つグルーブで徐々にヒートアップする様子を見ていて興奮した。

ここはクラブのフロアとは違う。やっぱりエビっすさんの強烈な気が充満する「十日えびす」の3日間のこの地域ならではのこと。その気に充てられた特別な熱狂を感じる。突如現れた感の “えびすビレッジ” は、他の旧来と変わらない露店とはあきらかに違う。天井にはたくさんの赤い提灯をぶら下げて、エビっすさんの雰囲気を取り込みつつのモダンな店内装飾。そしてそこでDJまでしてしまう主催者には感心するしかない。3日間に回すDJたちは20人を超えてる。そのごった返すフロアの中に一歩入り込むと、知り合いのDJたちやパーティーピープルたち、そして何軒かの行きつけのバーカンたちから握手ぜめだった。

いやいや、あっちこっちのパーティで出会うこのビレッジのオーガナイザーから昨年末にドリンクチケットをもらい、話を聞いた時は、一瞬、本気かいなと思いつつ、おもろいと感じた。ぼくはかつて事務所を持っていた頃、何年間も欠かさずに「十日えびす」参りをしていた。お賽銭をあげた帰り、縁起担ぎで露店で高価なサザエの壷焼きを食べて酒を飲んだものだった。最近は行っていないが、あそこでなんぞやらかすからには大阪的熱気に満ちたものになるだろうと予感して現場に足を運ぶのを楽しみしていた。その割にはあまり長時間いることができなかったのが残念やが、大阪シーンの胎動を肌に感じて満足。

途中、立っていられないほどの余りの疲れで空いてる椅子を見つけてへたり込んだが、エビっすさんパワーの毒気に当てられたかもと退散したんだ。考えたらネットのトラブルで前日はあまり寝てない。来年の “えびすビレッジ” には体調を整えて大阪パワーに臨みたいな。

3日間のタイムテーブル
ドリンクチケット、昨年末から大量に配ってたけど、使えるのは一人一日1枚まで。

宵えびす(1月9日)を歩く


宵えびすの午後を歩いた

今宮戎神社「十日えびす」の前日、「九日宵えびす」にちょっとだけ立ち寄った。難波に用事があったので足を伸ばしたわけ。毎年、難波から今宮戎神社までの沿道には延々と露店が並ぶ。その沿道に大阪クラブシーンでよく出会う男子から大きな出店「えびすビレッジ」を出して中ではDJをやってもらう、と聞いて驚くと同時におもろいなーと思った。

3日間続く祭りの初日に難波から歩いてちょっと下見で寄ったが、沿道には出店が並んでいるもののまだ人出は少ない。なんばパークスと今宮戎神社のちょうど中間ぐらいにその「えびすビレッジ」がすぐに見つかった。よく通うバーのバーカン女子がすぐにぼくを見つけてくれて、いろいろ案内してくれる。すでにDJもプレイしているが、時間の早いせいもあって人が閑散としていてまだ盛り上がっていない。

しかし、店内は真っ赤な提灯がたくさんぶら下がってエビっすさんの雰囲気を取り入れつつ、従来の大きな露店とは一線を画するモダンな作りで、これなら沿道を歩く若い人たちの目に止まるに違いないと思った。エビっすさんで「えびすビレッジ」はかなり刺激的と感じた。

ネットで発表されてたDJたち

DAY1 / 2019.1.9 14:00-24:00

  • AKIHIRO
  • ALUCA
  • HARIO!?
  • ONO
  • STEW
  • TETSUO
  • カレーライス

DAY2 / 2019.1.10 14:00-24:00

  • AGEISHI
  • AOKI takamasa
  • DEJIRUMASARA
  • DJ SPOT
  • MAYUMIKILLER
  • MITSUYASU
  • TAKE
  • YOSKE

DAY3 / 2019.1.11 14:00-24:00

  • DJ CALPIS
  • DMITRI ABSINTHE
  • SHINGO
  • SOICHI
  • TSUTOM HIRANO
  • YUKKE
  • トシヤ青木

阿木譲氏の死を知った夜

今日、阿木譲氏が亡くなっとツイートが駆け巡っている。急いで検索したら、写真のツイートが見つかった。どうやらこれが彼の絶筆かもしれない。いかにも阿木さんらしい気取った文章で、ぼくが彼と会った1970年代後半から何一つ変っていないと思い、ホッとした。当時、彼が発行する雑誌”ロックマガジン”や松岡正剛氏の季刊誌”遊”に連載する阿木さんの文章に心底熱狂していた頃を思い出させるに十分なセンテンスだ。あれから40年か・・・、「待っていてもなにもやってこないよ、・・・」、と語りかける彼の言葉で、ぼくは今夜フラフラとアメリカ村を飲み歩いた。5件のバーを飲み歩いて帰ってきても癒されず、こうして書いている。
アメリカ村の生みの親と言われる日限萬里子氏を紹介してくれたのも阿木さんだった。彼に日限さんのクラブ”パームス”に連れていかれた。そこで出会ったショートヘアで男装の麗人日限さんももういない。そのアメリカ村でぼくは今夜も遊んでいる。萬里子さん、アメリカ村も随分と変わったよ、と語りかけたい。ぼくにとってパンクロックは阿木さんなしで考えられないが、アメリカ村そのものも阿木さんなしで考えられない。だから今夜、ぼくはアメ村を飲み歩いた。それが供養のように飲み歩いた。

この5月には一人の親しいフロアフレンドの死にも遭遇した。彼女の死はぼくにとって、アメリカ村の街角で出会った”死”だった。さらに阿木さんの死は、アメリカ村の街角を曲がると、やっぱり”死”に出会う、という感じだ。

UC EAST 個展「Mube」

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昨夜は、unionとcaliflowerで遊んでいた。今日は、UC EAST 個展「Mube」へ行ってきた。会場の20年前に操業を終えた工場は西成区松田町にある。その場所へ強い磁力で引き寄せられるように向かった。50年前近く、ぼくはその松田町の安アパートに住んでいたことがある。用がなければ行く場所じゃない。事実、50年近く松田町に用があることはなく、行くことはなかった。今日は個展という用があって行った。思っていた以上にぼくの感情はたかぶった。途中、会場を抜け出して、思い出をたどるように雨の松田町を歩いた。写真は西成区と阿倍野区の境にある急峻な階段の上から撮った風景。上の段差の阿倍野区から下の西成区を見下ろす独特の風景が大阪市内にあることを知る人は地元民以外はほとんどいないだろう。

この急峻な階段の記憶はあったが、住んでいたアパートは見つからなかった。個展でのライブペイントは体の冷えが激しくて途中で出て、隣町の飛田を歩いて抜けて御堂筋線の動物園前駅から帰った。雨の飛田はピンク色の明かりがまぶしい異様に華やだ街だった。飛田を出るといきなり極貧地帯に入る。ジャズ喫茶マントヒヒがあったのは飛田を抜けて右へ行くとすぐのところだった。反対の左へ行くと、やはり住んだことのある山王町の安アパートがあった。

歩きながら、ぼくはヒッチハイクの路上に立ち続けているようだ、と感じた。いつまで立ち続けるんだろう。長い長いロードムービーの途中みたいだ。ロードムービーを見ていると、押しつぶされるような悲しみに襲われることがある。ぼくは、自作自演のロードムービーをやっているのかもしれない。若いアーティストの活動を追いかけて、ぼくのロードムービーは続いている。

西成萩の茶を歩く

大阪西成萩之茶屋を歩く

2016年2月14日、西成萩之茶屋の難波屋に行った。向井千惠「ライブぱふぉまんす難波屋」があった。向井知恵さんの二胡によるフリージャズを聞いていたのは1980年頃だった。パフォーマンスには懐かしいようななんとも言えない感情に襲われた。終了後、店を出て近くの三角公園へ歩いた。それから地下鉄御堂筋線の動物園前駅までiPhoneで写真を撮りながら歩いた。

この冬最低気温の西区四ツ橋

大阪西区四ツ橋

この冬最低気温の24日早朝、6:40。例によってクラブで朝まで踊って朝帰り。猛烈に寒い長堀通りを歩いて帰った。天気予報で降雪予想が出ていたので帰りは雪が積もっているかもしれないと、自転車じゃなくて歩いて家を出た。上の写真は四ツ橋の交差点で長堀通りを東に向いて撮った。下の2枚は、北方向(左写真)と南方向。

大阪西区四ツ橋大阪西区四ツ橋

上の写真は建て替えのために閉館した大丸心斎橋店本館の午前5時。御堂筋をはさんで行ったり来たりした。

閉館の大丸心斎橋店本館